徒然草

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大火葬戦史外伝 大火葬日本における重戦車ドクトリン 2.虎の系譜

これは大火葬戦史という虚構における、語られざる側面である。
その1.二式重戦車「虎王」
生産期間:一九四二年~一九四三年
総生産数:一三五〇両

帝国陸軍が世界に誇る装甲阻止力研究所、通称「甲止力(こうしりょく)研究所」が生み出した二式重戦車「虎王(こおう)」の初期型が本車である。

最大速力こそ整地で時速三八キロしか出せないが、一〇〇ミリにも達する正面装甲は敵の保有する対戦車砲をものともしない。
そして主砲である九〇ミリ砲の破壊力は圧倒的であり、試射の段階で富士演習場のコンクリート製トーチカを貫徹し、それを取材していた軍事雑誌の記者から「タイガーショット」の名をもらい、「虎王」というあだ名の語源となった。

日米戦争では緒戦のフィリピン攻略戦にて投入され、合衆国陸軍のM3戦車をフルボッコにし、帝国陸軍最強の重戦車として喧伝された。

もっとも、インフラが充実した帝国本土ではなく、スコールでぬかるんだフィリピンの大地は「虎王」にとって足かせとなり、故障車が続発していたことが近年の研究で確認されている。
その稼働率は何と六割弱しかなかったという研究も存在する。
しかしその低い稼働率をものともせず、合衆国陸軍の反撃を完封せしめたことは紛れもない事実であり、甲止力研究所がキチンと仕事をこなしていたことは誰の目にも疑いようのない事実である。


その2.二式重戦車二型「虎王改」
生産期間:一九四四年
総生産数:四五〇両予定(内、完成一〇〇両程度で生産打ち切り)

虎王の装甲は直立しており、避弾経始を想定していなかった。
「避弾経始」の研究が開始されたのは、中国内戦で鹵獲されたソ連のT-34の研究と同時であるといっても過言ではない。
避弾経始を考慮することで、虎王の防御力はさらに向上する!
甲止力研究所の長である保髏死畫壊 腐壊髏濔難屠(ポルシェ・フェルディナント)はT-34の避弾経始をわずか三ヶ月でまとめあげ、そして自慢の重戦車である虎王に適用するよう筆を振るった。

その結果として誕生したのが避弾経始によって一八〇ミリ相当となった正面装甲と、長砲身化した九〇ミリ砲を搭載した新たなる虎王であった。
元ドイツ人である保髏死畫壊 腐壊髏濔難屠はこの虎王の改良型を「ネオ・タイガーショット」と名付け、帝国陸軍の理想にまた一歩近づいたのだと鼻息を荒くした。
しかし本車は日米戦争終結に反対する反乱軍によって使用され、帝国陸軍同士が相打つという第二次二・二六事件の悪役側に使用されてしまう。
反乱自体は何とか短期間で鎮圧できたのだが、しかし反乱軍が使用した兵器という事実は本車の量産に大きな影を落としてしまった。
性能自体は五〇年代の戦車にも匹敵していた「ネオ・タイガーショット」は、非常に短い生産期間で無念の打ち切りとなってしまったのである。


その3.二式重戦車三型「雷獣」
生産期間:一九四五年~一九五七年
総生産数:二二〇〇両

虎王改を元に、保髏死畫壊 腐壊髏濔難屠が自身の趣味である(といわれても仕方がない)、エンジンで発電機を廻すことで充電したモーターで駆動するハイブリッド式を採用した重戦車。
しかしハイブリッド方式は機構が複雑化してしまい、稼働率の低下が懸念されていたのだが、虎王改の政治的な事情が作用したこともあって量産化が決定。
最終的には虎王各型の中で一番多い、二二〇〇両が生産されている。

なお、愛称は「雷獣」だが、保髏死畫壊 腐壊髏濔難屠曰く「ライトニング・タイガー」とのこと。


その4.二式重戦車四型「竜虎」
生産期間:一九四七年~一九五〇年
総生産数:七五〇両

中国内戦で日本が支援していた国民党政府軍のためにディーゼルエンジン駆動にした雷獣戦車。
しかし七〇トン近い雷獣をディーゼルエンジンで難なく動かすために採用した新型大馬力エンジン爆音はかなり耳障りで、さらに避弾経始の追求のために変更した砲塔の装甲の角度が悪く、砲塔の当たり所が悪いと弾いたはずの砲弾が車体を直撃してしまう(通称:浮き球バグ)こともあったという。
所々で酷評される欠点はあるが、それでも滅亡寸前だった国民党政府軍が中原の覇者と呼ばれるまで盛り返す原動力となったのは、間違いなく本車の存在があってこそだった。

なお、愛称は「竜虎」だが、保髏死畫壊 腐壊髏濔難屠曰く「ドラゴン・タイガー」とのこと。


その5.二式重戦車五型「虎王」
生産期間:一九五八年~一九六五年
総生産数:一〇五〇両

一九五〇年台後半に入り、ソ連軍がT-54を、合衆国陸軍がM60などのMBTを配備しはじめたのを受け、甲止力研究所が帝国陸軍に逆提案した戦車。
虎王の名を使用しているが、それはその方が予算の承認が下りやすかったからそうしただけであり、実質はまったくの別物といっていい。
長砲身の一〇五ミリライフル砲と雷獣以上となる三〇〇ミリの正面装甲、そして超大馬力のガスタービンの採用で最大時速五〇キロという快速性をもった虎王史上初の攻守走の三拍子がそろった主力戦車となった。
今まで攻撃力と装甲の充実を願えば諦めざるを得なかった速力を、帝国陸軍はついに手にしたのである。

しかし帝国陸軍のドクトリンにもっとも適った「理想形」である本車にとって最大の不幸は、本車の量産開始と同時期に、甲止力研究所が人型二足歩行装甲車両ともいうべきパンツァー・アーミー(PA)を実用化してしまったことにある。
平時であったために量産が遅々として進まなかった本車を尻目に、第四次中東戦争で圧倒的な実績を残したPAは瞬く間に全世界に浸透。
結局、虎王の最新型は最終型となってしまったのであった。
本車の設計とPAの設計を同時並行して進めていた保髏死畫壊 腐壊髏濔難屠は本車を「ファイナル・タイガー」と呼んでたが、彼の言葉通りとなってしまったのだった。
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  1. 2009/09/25(金) 23:06:33|
  2. 未分類
  3. | コメント:1
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コメント

でも解説しなきゃいけないネタは寒いと自虐する

リハビリがてらに更新2。

しかし我ながら微妙なネタを仕込んだものだ。
少なくとも二〇代後半でなきゃわからないだろうけども、うちのお客様層にはわかっていただけるのだろうか?
こないだの日記みたいにネタ解説やった方がいいのだろうか………
  1. 2009/09/25(金) 23:26:32 |
  2. URL |
  3. 山本 瑞鶴 #ZB43l.tY
  4. [ 編集]

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